もう少しだけ夢を追う - DTMとコスプレそしてASD

音楽とパソコンとコスプレが好きな50↑。ASDだからか生き辛いけれど、人生をまだ諦めない。

コスプレもたまに(宅コスのみ)

自宅での自撮り限定、重加工ですが、たまにコスプレをします。

 

コスプレに興味を満ち始めたのは、30年くらい前、二十歳そこそこの頃。ゲーム系の雑誌で見かけたことから興味が湧いたものの、当時はインターネット普及前で、私もネット環境を持っていませんでしたから「検索」という行為は出来ず、何もわからないままでした。

 

1996年、25歳。世間に先駆けネットを導入。デジタル系のモノが大好きな僕はすぐにパソコンに夢中になり、コスプレについては忘れている。

 

20代後半頃、まだメンズメイクという言葉は無かっただろうが、僕はスキンケアや薄い肌色補正を始める。何もわからない。ネットで検索してみればいいものの、何故かメイクの検索をしなかった。ただドラッグストアへ行き、女性用のコーナー(という表現も変な気もするが、当時の僕は「化粧品=女性専用」というイメージがあった)で何とか探していた。当時、彼女や女友達は居なかったので自力でした。

 

たまにしかメイクしなかった上に、30代中頃から、かなりめんどくさくなり、やらなくなる。37歳で元妻と知り合うが、いろいろとメイクどころではなかった。やがて離婚。

 

49歳の春、ある場所で知り合った女性とお話しする中でコスプレの話題があり、興味が再燃。いろいろと検索し、ネット通販で化粧品やカラコンやウィッグを取り寄せ、自撮りアプリも教えて貰い、遂にコスプレを始める。

 

以下、これまでにやってみたものを幾つか。

⚠️加工済み

cosplay001

僕の名は

まず、Johannesとは。
僕はカトリック信徒ですので洗礼名があります。ハンドルとして名乗るにあたって、教会に登録してある洗礼名とは綴りを変えていますが、誰の名かと言えば福音書記者のヨハネです。
洗礼を受けたのは48歳の時です。この記事を書いている現在は51歳です。もともと無宗教でしたが、幼少の頃からキリストや聖書に興味がありました。実際に聖書を読み出したのは45歳の頃かな?47歳で教会へ行きました。

 

Kazuya。
本名です。漢字で綴ると「一也」です。
日本人の男性的名前として、一番かっこいいと思っているのが、なんと自分の名前。漢字の綴りも、一番だと思っています。
今のところ、完全に名前負けしています。

 

AOTSUKI。
でっちあげです。漢字で綴るなら「蒼月」です。
まず、僕が一番好きな色は「青」です。
「月」の由来は、一番好きな曲がベートヴェンのピアノソナタ月光の第一楽章なので、「月」を使いたかったのです。
僕はどんなに辛い時でも、空を見上げた時に雲ひとつない青空が広がっていると、もう少し頑張ろう・生きてみようと思うのです。そしてまた、夜に空を見上げた時に月が光っていると、何でだろう、世の大きさ・時の長さ・想いの深さ、そんなものに心を奪われるのです。

 

このような理由で「 Johannes Kazuya AOTSUKI 」と名乗っています。
実は、ハンドルを使い始めたのは2016年で「あおつきかずや」と名乗っていました。この名を思いついたのは、もっと昔。いつの頃か思い出せませんが20代の頃でしょう。とにかく、世に出る時はこれを名乗ろうと決めていました。全て平仮名なのは画数が良いからです。今も、あえて日本語で綴るなら「ヨハネス」は外して「あおつきかずや」と綴ります。「蒼月一也」でも問題ありません。
因みに、ネット掲示板では、他のユーザーからは「AO」と書き込みされています。僕もそれは構わないと思っています。

 

さてさて、そんな想いを込め過ぎた名前ですが、今のところ、誰が知っているのか。そりゃ、知っている人は居ます。でも、まぁ知っている人がいるってところか。
芸能・芸術方面でデビューしたかった。クリエイティブな方へ進みたいと思ったのは、小学校1〜2年頃。最初はマンガ家でした。まだペンネームは思いついていませんでした。もう45年くらい経ちましたかね。まだ凡人です。ですから「あおつき」なんて名乗ってても、何様!?って感じですよね。

 

早く堂々と「 Johannes Kazuya AOTSUKI 」と名乗り、他人からもそう呼ばれるようになりたい。

音楽での苦悩

16歳でエレキギターを始めた。しかし、もともと音感が悪く、オリジナルのフレーズは全く弾けなかった。当時はコピーをしていたが、バンドスコアを見ればコードネームが書いてある。それでも聞いた感じでは全く判らない。作曲など到底不可能。また、バンドメンバーとも色々と合わずバンドをやめた後、ギターも弾かなくなった。

 

23歳。初めてのMacintoshを購入しDTM (DeskTopMusic)に挑戦するが、音感が悪ければ、やはり作曲は無理だった。

 

29歳。声優の養成所に入所。結果は出せないまま退所するが、後に声は出せるようになる。声出しが楽しくヒトカラへ行くようになり、歌う事で音感が矯正されたのか、35歳で初めて作曲する。


楽曲投稿サイトに5曲アップロードするも、1曲はコメントが二つついたが評価はゼロ。残りの4曲は評価もコメントもゼロ。余りの状況に愕然とする。大勢いる中で、ゼロなんて僕だけ。モチベーションは無くなり、挫折する。


2022年春。51歳。イメージが湧き、曲として完成させようと思い立ち、音楽への4度目の挑戦。YouTubeへアップロードするが、そもそも再生回数が少ない。評価もコメントもつかない。あまりの反応の無さに失望するが、次の曲を作ることにする。更に4曲目では、動画に文章を記述。5曲目は歌詞を付加。しかし、伸びない。


やがて、視聴者維持率のグラフを見て、深刻な事実に気づく。35歳の時の曲と合わせて9曲公開しているが、同じ傾向がある。10秒程で視聴者は半減し、曲の半分で視聴者がいなくなるのだ。いや、1人2人はいるが、恐らく旧来の友人が最後まで聴いてくれたのだと思う。となると、後はほぼ居ないという事。全ての曲で同じ傾向だから、共通する欠点があるという事。これはもう、才能が無いというより、才能が悪いということか?


10秒で半数が居なくなり、後半は聴かれていない。


そもそも、再生回数が少なすぎないか?Twitterで宣伝したつもりが、Twitterのインプレッションが少ない。更に一月もすれば、YouTubeTwitterも動きがなくなる。数字がフリーズする。つまり、全然聴かれない。


しかし、考えようでは、多数が聴いているにもかかわらず評価が無いとなると完全にダメだ。現状は殆ど聴かれていない。たぶん、甘すぎる解釈だが。そう思わなければ、精神がもたない。


いま新曲のイメージが数曲分ある。もう少しイメージを高めたら、次の曲の制作に入りたい。その際には、見直す事も考える。それでも、僕のセンスの問題なら、何を作ったつもりでも、きっと総スカンだ。怖いが挑戦するしかない。


怖いのは、僕がASDだという事。全人類と感性が違いすぎて誰とも共感出来ないのかも知れない。僕が作る曲も、誰が聴いても面白くないのかも知れない。


だが、やるしかない。やらなければ、ここまでだ。ここまでは全てダメだ。やらなかったら、終わりだ。変わらなければ、動かなければ、絶対にダメ。年齢的にも人生を諦めることになる。だから、やめない。やめたら終わりだから、やめない。


やれば良いって事もないし、むしろダメ元だ。夢も希望も無いままやるのだから、これはキツい。


でも、やる。


いちおうね、僕のYouTubeチャンネルです↓
Johannes Kazuya AOTSUKI Channel - YouTube